皆様こんばんは
リップデザイナーnaomiです
3連休皆様はいかがお過ごしでしたか?
お天気良くて秋晴れの3連休
私は珍しく自然の中で過ごせて
心が少し元気になりました
先週はボランティアの連続で
子供と環境を考えるイベントの
スタッフとしてYuちゃんと参加してきました
今週は高齢者の配食サービスで
お弁当をご自宅に届け
ボランティアの先生のお勧めで
昨日は時間があったので
こんな時間にバナナかよ
という映画を見ました
人生の最後を自宅で迎えるためには
そのイメージをそのままに
映画化してある映画でした
色々と感じたことが
あったんだけど...
言葉にしようとすると浮かんでこないな〜
今ね
私も知らなかったのですが
日本の教育から
人のために生きる
という価値観は無くなったそうなのです
道徳教育もなくなり
何事も自分中心
自分が1番自分が大切
私は昭和なので
おばあちゃんに
人のためになるお仕事をしなさいって
教えられました...
故 聖路加国際大学の日野原先生も
子供の時は自分のために時間を使いなさい
大人になったら人のために時間を使いなさい
っておっしゃっていた...
それは昭和の価値観であって
今はそれが通用しない
それが良いか悪いかを
ここで論じるつもりはありません
ただ...
今まで昭和の社会構造は
助けあいの社会だったから
それが急に個の社会になると
その歪みが出てくるわけで
そしてこれからその歪みが
これからの問題となるわけです
特に社会的に弱者となった高齢者を支える時
様々な問題が生じてくるわけです
また医療においても同じです
極端に言えば時間が来たら
手術中でも患者を放置して帰っていいんです
えそれはだめ
どうしてだめなのですか
医療職だけなぜだめなの
医療の現場の人間から言わせてもらうと
無理なんですよ
そもそもベースが自分中心で出来上がっている大人に
医療人だから我慢しろっていうのは
もう時代的に無理なんです
つまりそれが押し付けだって言われたら
ハラスメントなんです
だからこの倫理的な教育をどうするかは
これから大きな問題になるでしょう
ただ違った価値観からすると
何が問題なのかもわからないという話になります
人のためにと教育された人間は
その思考のベースが人のためなので
何を考えるにも人のためですけど
自分中心と教育された人間は
思考のベースは自分なので
誰かがどんなに困っていても自己責任
これは周りの人だけでなくて
政治や経済、私たち身の回りが全て
そういう価値観をベースに変わっていくということです
人は誰でも弱者になりうる
その弱者を想像できない社会が
もうやってきているということになります
弱者になるのは自己責任
そういう価値観の中で
私自身も心が揺らぐことがあります
人のために何かしても
おせっかいと言われるし
お礼の1つもない
いやいやお礼を言われたいわけじゃないけれど
人と人ってお互い様でしょ
何をしても一方通行なんですよね,,,
今の世の中
でもね、私思うんですけど
私たち人間なのだから
最後は人間同士お互い様の気持ちでいる方が
人間らしく豊かで幸せだと思うのです
だから価値観が変わっても
他人に優しい社会であってほしいし
その社会ってね
自分も社会の構成員なんですよね
だからそういう社会にしたければ
自分だけでもそういう人間でなければいけないでしょう
だから人のためという価値観が古いと言われても
自分は人のためにちょっと何かできる大人でありたいって
思うのです
人が1分他人のために優しくする
日本人1億人全員がたった1分誰かに優しくしたら
1億分誰かが幸せになるんです
たった1分で
これってすごくないですか
というわけで
私は誰かのために1分を使っています
映画をみたことが色々と
アイディアが湧いて....
これから誰かとそのことについて共有しようって
思ってます
社会のために何かできるといいな〜
というわけで
あー最後に
久しぶりに動画をUPしましたので
よかったらご覧いただけると嬉しいです
今回は根管充填です
神経をとった後の歯の中は空洞化しています
これを密閉するのが根管充填です
動画最初には当院の感染対策の様子も
入っていますのでよかったらぜひ
では今週も頑張りましょう
リップデザイナーnaomiです
3連休皆様はいかがお過ごしでしたか?
お天気良くて秋晴れの3連休
私は珍しく自然の中で過ごせて
心が少し元気になりました
先週はボランティアの連続で
子供と環境を考えるイベントの
スタッフとしてYuちゃんと参加してきました
今週は高齢者の配食サービスで
お弁当をご自宅に届け
ボランティアの先生のお勧めで
昨日は時間があったので
こんな時間にバナナかよ
という映画を見ました
人生の最後を自宅で迎えるためには
そのイメージをそのままに
映画化してある映画でした
色々と感じたことが
あったんだけど...
言葉にしようとすると浮かんでこないな〜
今ね
私も知らなかったのですが
日本の教育から
人のために生きる
という価値観は無くなったそうなのです
道徳教育もなくなり
何事も自分中心
自分が1番自分が大切
私は昭和なので
おばあちゃんに
人のためになるお仕事をしなさいって
教えられました...
故 聖路加国際大学の日野原先生も
子供の時は自分のために時間を使いなさい
大人になったら人のために時間を使いなさい
っておっしゃっていた...
それは昭和の価値観であって
今はそれが通用しない
それが良いか悪いかを
ここで論じるつもりはありません
ただ...
今まで昭和の社会構造は
助けあいの社会だったから
それが急に個の社会になると
その歪みが出てくるわけで
そしてこれからその歪みが
これからの問題となるわけです
特に社会的に弱者となった高齢者を支える時
様々な問題が生じてくるわけです
また医療においても同じです
極端に言えば時間が来たら
手術中でも患者を放置して帰っていいんです
えそれはだめ
どうしてだめなのですか
医療職だけなぜだめなの
医療の現場の人間から言わせてもらうと
無理なんですよ
そもそもベースが自分中心で出来上がっている大人に
医療人だから我慢しろっていうのは
もう時代的に無理なんです
つまりそれが押し付けだって言われたら
ハラスメントなんです
だからこの倫理的な教育をどうするかは
これから大きな問題になるでしょう
ただ違った価値観からすると
何が問題なのかもわからないという話になります
人のためにと教育された人間は
その思考のベースが人のためなので
何を考えるにも人のためですけど
自分中心と教育された人間は
思考のベースは自分なので
誰かがどんなに困っていても自己責任
これは周りの人だけでなくて
政治や経済、私たち身の回りが全て
そういう価値観をベースに変わっていくということです
人は誰でも弱者になりうる
その弱者を想像できない社会が
もうやってきているということになります
弱者になるのは自己責任
そういう価値観の中で
私自身も心が揺らぐことがあります
人のために何かしても
おせっかいと言われるし
お礼の1つもない
いやいやお礼を言われたいわけじゃないけれど
人と人ってお互い様でしょ
何をしても一方通行なんですよね,,,
今の世の中
でもね、私思うんですけど
私たち人間なのだから
最後は人間同士お互い様の気持ちでいる方が
人間らしく豊かで幸せだと思うのです
だから価値観が変わっても
他人に優しい社会であってほしいし
その社会ってね
自分も社会の構成員なんですよね
だからそういう社会にしたければ
自分だけでもそういう人間でなければいけないでしょう
だから人のためという価値観が古いと言われても
自分は人のためにちょっと何かできる大人でありたいって
思うのです
人が1分他人のために優しくする
日本人1億人全員がたった1分誰かに優しくしたら
1億分誰かが幸せになるんです
たった1分で
これってすごくないですか
というわけで
私は誰かのために1分を使っています
映画をみたことが色々と
アイディアが湧いて....
これから誰かとそのことについて共有しようって
思ってます
社会のために何かできるといいな〜
というわけで
あー最後に
久しぶりに動画をUPしましたので
よかったらご覧いただけると嬉しいです
今回は根管充填です
神経をとった後の歯の中は空洞化しています
これを密閉するのが根管充填です
動画最初には当院の感染対策の様子も
入っていますのでよかったらぜひ
では今週も頑張りましょう