皆様、こんにちはnaomiですさて、12月第3週も始まりました〜皆様いかがお過ごしでしょうか?
ボランテイアってどう思うもうすぐ今年も終わりですが、今年から私、ボランティア活動始めました。節目の年になったら何かしようって心に決めていましたので
在宅で亡くなる人のお手伝いがしたいと思ったのは25歳。同じような志を持った団体が、四半世紀経った今、目の前に現れたのはきっとご縁でしょう
そのボランティア団体は大学とも協働しています。
先日子供向けのイベントに参加したことを書きました→いざボランテイアへ
ボランティアに参加した学生さんが、ボランティアに参加したことを発表するとのことで、今の若い人がどんなことを考えているのか興味をそそられて発表会に参加させていただきました。→サービスラーニングとは今時はサービスラーニングという課目があって、その一環で参加したらしい。
私のボランテイアの動機は...考えたことなかったけど、生きている間に少しでも誰かのお役に立てたらいいなぁっていう単純な気持ちかなぁ。
でもさぁ、ぶっちゃけボランティアするのに意味なんてなくていいよね。そんな小難しいこと考えていたらできなくない
ちょと行ってみたいな、とか、ちょっと興味があるな、とか、ちょとした気持ちでいいんじゃないかなーって思う。
(もちろんボランティアしなくちゃいけないわけでもないし。ボランティアする余裕がない人だってきちんと働いて税金納めていればそれだって十分人助けだしてると私は思うし)
学生さんから学んだことが1つ。
子供にゴーグルやおもりをつけて、高齢者がどれだけ不自由かって体験をしてもらったんだけど(よく福祉の授業であるやつ。私もヘルパーの学生時代に経験した)、ある男の子は、体格がよくて、おもりをつけても軽々と動いちゃって。
挙げ句の果てに『俺、全然余裕。』と言って、全く体験になっていない様子だったです
でね、学生さんは、全く体験になっていなかった様子を受けて『次回は体格にあったおもりを用意したい』と発表していました。
それを聞いた私は、同じその男の子こと同じように印象に残っているよと嬉しくなったんだけど、でも私の感想はその先があって。
私もその男の子こと同じように思ったんです。最初は。体験になってなかったなーって。でね、気になってアンケート見たんです。でも、アンケートにはちっとも経験にならなかったという答えはなかった。
もし本気でつまらなかったと思っていたら、つまらないと書いていたはず。でもない。なんで?アンケートは匿名だから、その子の回答はなかったかもしれない。。。そうだけど。。。
いや、もしかしたら、あの時の体験の俺、平気は照れ隠しだったのかもしれない。
あの時、本当におもりの重りの体験を高齢者のこととして思えなかったとしても、もしかして、大きくなって何かの拍子に高齢者と接する時に、そういえば...って思い出すかもしれない。
そう思って、あ、私ってはボランティア体験の押し付けしてたと思ったのです。
ボランティアって、無償の奉仕ですよね。本来。でも、私は、自分が提供したボランテイアの結果を相手に求めていた。。。こうなってほしいと願うのは感じてもいいと思うけど、その結果と違ったことに対して、がっかりしたり、違ったなーとか思うのは、結果の押し付けだったなって。
これって、歯科衛生士の指導でも同じことが言えますよね。患者さんをそのまま受け入れるって言いますけど、でも私たちって指導の先に、こういう答えを期待するとかありますよね。そしてその答えが返ってこなかったり、歯磨きしてこないと、怒る。。。みたいな。
これも指導の押し付けですよね。まずは、相手の行動を受け止めて、その上で、感情的ではなくて客観的に分析して、目標に向かって修正する。
これから指導者となる学生さんにとっても、大切な視点だなって。
だから、私、学生さんの発表にコメント求められて、つい...言ってしまったんだけど、これまた、学生さんの学びの場だったのだから、もっと学生さんを褒めてあげれば良かったなーと大人の私が反省してしまいました。
でもさ、そんな忖度本当はいらないんだよね。私は教育者としてではなく、市民としての参加だったんだから
あーでも私も学んだな。知らないうちに自分が相手に期待していて、勝手にがっかりしてるって。
長くなりますが、私が学んだことは、ボランテイアって人と人のご縁を繋ぐ入口なんだって。ボランティアすることで、団体の人と繋がって、イベントの人と繋がって、さらに学生さんと繋がって、学生さんつながりで大学と繋がったり。。。
それを学べればいいんじゃないかって結論です
学生さんは学部1年生で、もう課程としては終了だから、これから参加するかどうかはわからないけど、まあそこには問題があると思うけど。。。授業の一環だからボランテイアに参加して授業が終わったらはいさよならみたいなのは。。。ね。。。まあ本来授業だからそういうものなんだけど。
これをご縁に学生の間は参加してくれるといいなーと思っています。また来年、おもりを倍にして一緒に参加したいです
*****************
サービスラーニングの意義とは
・地域や学校の重要性に気づかせることができる
・学校や地域・自分とのつながりを認識させることができる
・自分自身の存在の重要性に気づかせることができる
・参加する市民としての行動力や責任を育成することができる
・これまでの伝統的な強化学習をより効果的に理解させることができる
・伝統石な学習形態の中で学習活動から外れてしまう生徒を取り込むことができる
・学校と支え合う関係を築くことができる
・地域のもつ問題点が明らかになり、解決への糸口が見つかる
・若者や学校に抱いている認識を新たにすることができる
ボランテイアってどう思うもうすぐ今年も終わりですが、今年から私、ボランティア活動始めました。節目の年になったら何かしようって心に決めていましたので
在宅で亡くなる人のお手伝いがしたいと思ったのは25歳。同じような志を持った団体が、四半世紀経った今、目の前に現れたのはきっとご縁でしょう
そのボランティア団体は大学とも協働しています。
先日子供向けのイベントに参加したことを書きました→いざボランテイアへ
ボランティアに参加した学生さんが、ボランティアに参加したことを発表するとのことで、今の若い人がどんなことを考えているのか興味をそそられて発表会に参加させていただきました。→サービスラーニングとは今時はサービスラーニングという課目があって、その一環で参加したらしい。
私のボランテイアの動機は...考えたことなかったけど、生きている間に少しでも誰かのお役に立てたらいいなぁっていう単純な気持ちかなぁ。
でもさぁ、ぶっちゃけボランティアするのに意味なんてなくていいよね。そんな小難しいこと考えていたらできなくない
ちょと行ってみたいな、とか、ちょっと興味があるな、とか、ちょとした気持ちでいいんじゃないかなーって思う。
(もちろんボランティアしなくちゃいけないわけでもないし。ボランティアする余裕がない人だってきちんと働いて税金納めていればそれだって十分人助けだしてると私は思うし)
学生さんから学んだことが1つ。
子供にゴーグルやおもりをつけて、高齢者がどれだけ不自由かって体験をしてもらったんだけど(よく福祉の授業であるやつ。私もヘルパーの学生時代に経験した)、ある男の子は、体格がよくて、おもりをつけても軽々と動いちゃって。
挙げ句の果てに『俺、全然余裕。』と言って、全く体験になっていない様子だったです
でね、学生さんは、全く体験になっていなかった様子を受けて『次回は体格にあったおもりを用意したい』と発表していました。
それを聞いた私は、同じその男の子こと同じように印象に残っているよと嬉しくなったんだけど、でも私の感想はその先があって。
私もその男の子こと同じように思ったんです。最初は。体験になってなかったなーって。でね、気になってアンケート見たんです。でも、アンケートにはちっとも経験にならなかったという答えはなかった。
もし本気でつまらなかったと思っていたら、つまらないと書いていたはず。でもない。なんで?アンケートは匿名だから、その子の回答はなかったかもしれない。。。そうだけど。。。
いや、もしかしたら、あの時の体験の俺、平気は照れ隠しだったのかもしれない。
あの時、本当におもりの重りの体験を高齢者のこととして思えなかったとしても、もしかして、大きくなって何かの拍子に高齢者と接する時に、そういえば...って思い出すかもしれない。
そう思って、あ、私ってはボランティア体験の押し付けしてたと思ったのです。
ボランティアって、無償の奉仕ですよね。本来。でも、私は、自分が提供したボランテイアの結果を相手に求めていた。。。こうなってほしいと願うのは感じてもいいと思うけど、その結果と違ったことに対して、がっかりしたり、違ったなーとか思うのは、結果の押し付けだったなって。
これって、歯科衛生士の指導でも同じことが言えますよね。患者さんをそのまま受け入れるって言いますけど、でも私たちって指導の先に、こういう答えを期待するとかありますよね。そしてその答えが返ってこなかったり、歯磨きしてこないと、怒る。。。みたいな。
これも指導の押し付けですよね。まずは、相手の行動を受け止めて、その上で、感情的ではなくて客観的に分析して、目標に向かって修正する。
これから指導者となる学生さんにとっても、大切な視点だなって。
だから、私、学生さんの発表にコメント求められて、つい...言ってしまったんだけど、これまた、学生さんの学びの場だったのだから、もっと学生さんを褒めてあげれば良かったなーと大人の私が反省してしまいました。
でもさ、そんな忖度本当はいらないんだよね。私は教育者としてではなく、市民としての参加だったんだから
あーでも私も学んだな。知らないうちに自分が相手に期待していて、勝手にがっかりしてるって。
長くなりますが、私が学んだことは、ボランテイアって人と人のご縁を繋ぐ入口なんだって。ボランティアすることで、団体の人と繋がって、イベントの人と繋がって、さらに学生さんと繋がって、学生さんつながりで大学と繋がったり。。。
それを学べればいいんじゃないかって結論です
学生さんは学部1年生で、もう課程としては終了だから、これから参加するかどうかはわからないけど、まあそこには問題があると思うけど。。。授業の一環だからボランテイアに参加して授業が終わったらはいさよならみたいなのは。。。ね。。。まあ本来授業だからそういうものなんだけど。
これをご縁に学生の間は参加してくれるといいなーと思っています。また来年、おもりを倍にして一緒に参加したいです
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サービスラーニングの意義とは
・地域や学校の重要性に気づかせることができる
・学校や地域・自分とのつながりを認識させることができる
・自分自身の存在の重要性に気づかせることができる
・参加する市民としての行動力や責任を育成することができる
・これまでの伝統的な強化学習をより効果的に理解させることができる
・伝統石な学習形態の中で学習活動から外れてしまう生徒を取り込むことができる
・学校と支え合う関係を築くことができる
・地域のもつ問題点が明らかになり、解決への糸口が見つかる
・若者や学校に抱いている認識を新たにすることができる