☆☆☆オフィスの清潔さと安全に特化した顕微鏡診療のお約束と証☆☆☆


【東京歯科医療安全・感染制御研究会】
医療の質は安全に比例いたします。

【東京歯科脳神経内分泌栄養咬合摂食嚥下口腔リハビリテーション研究会】

こんにちはmicro scalingR歯科衛生士naomiです

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久しぶりのブログになりました。気がつけば今日は9月1日。夏が終わってしまったまだ残暑が厳しいけど。

報告が遅くなりましたが...あ、報告する義務もないか私の私的な出来事ですし。
あっという間に2週間が経ってしまいましたが、8月14日に母がやっと入院できました。

新型コロナの感染があり1週間は個室、そして新型コロナのために面会は一切禁止
入院に耐えられるかな...と思って心配する事1週間。特に問題なく大部屋へ移れる事に。そして1週間...最初は塞ぎ込んでいたようですが、少しづつ他の患者さんに話しかけたりして慣れてきてるようです。

とりあえずよかった

私はと言えば...1ヶ月で7キロ痩せちゃったけど2キロ回復。まあ、もともと第体重が右肩上がりの時期だった事もあり、本来 の体重から言えば5キロ痩せって感じですけど それと自律神経のバランスが崩れたのか朝方になるとうなされるように目が覚めて、服が湿るくらい毎朝発汗するのが1週間ぐらい続きました

部屋が暑いんじゃないかって私もそうかと思ったんですけど、汗のかき方が尋常じゃないのです我ながらミイラ取りがミイラになったか...あかんと思っていましたが少しづつ落ち着いてきました。

この1ヶ月本当に大変だったはずなのに、誰かと母の話をすると、あれ振り返って見るとそんなに大変じゃなかったと錯覚なのか事実なのか...自分でもよくわからなくなっています

とにかく今は仕事と自分の生活を毎日淡々とこなすのみ

でも今回の母の件は私に様々な事を教えてくれました。

一番は、私が今現実、毎日当たり前に生活できる事への感謝。住まいがあって、家族がいて、ご飯が食べられて、仕事があって、心配してくれる友人がいて...とかそういう当たり前の極普通のことへの感謝。

そして、職業人としての私の気づき。お口を通して心と体の健康の維持・増進がモットーの私。患者さんの健康を長期にわたって支援するのが私の役目。こんな時だからメインテナンスが大切なのだと改めて。

どこへも行かない、誰にも合わないからこそ、体調に変化があったり、精神的に不安があるかもしれない。それに気がつけるのが医療者である歯科衛生士。

先週から再びメインテナンスの患者様を拝見させて頂いています。全員ではないけれどお口の中に変化がある方もいらっしゃいます。もちろんその前に生活の事もお尋ねしますから、テレワークだったり、お子さんの学校の事だったり、生活習慣の変化と合わせてお口の変化も見ます。

歯のすり減り、口腔周囲の筋肉の緊張、顎関節がガクガク不安定になる、食いしばりによる歯の動揺(これは不正咬合がもともとあっての事ですが)、舌に模様ができる(自覚症状のない粘膜病変)など。ご本人達が気がつかない変化があります。

残りの人生で私ができる事は...母の一件でそんな事を考えるようになりました。そして母の事をもっと理解したいと思って良い機会なので精神疾患の書籍を読み始めました

その中から。以下はエリクソンの発達段階説と言われるもの

エリクソン

発達課題とは「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされる。また、各段階には健全と相反する危機(英: crisis)が存在し、健全な傾向をのばし、危機的な傾向を小さくしなければならない。教育心理学者のロバート・J・ハヴィガースト(『人間の発達課題と教育』玉川大学出版部 1995年)が最初に提唱し、その後エリク・H・エリクソンなど様々な心理学者がそれぞれの発達課題を提言しており、その内容は一様ではない。 Wikipedia 課題発達 

各年齢にて習得しておく課題か...

老年期(65歳以上) 老年期は、死に対する意識が高まり、人生を回顧する時期である。大きな世の中や人類の秩序や意味の伝承と、自分自身の人生を回顧して受け入れることが課題となる(自我の統合)。「死」を受け入られないと、さまざまな衰えに対しての恐怖などを抱く(絶望)。看護roo! 

私は運が良かったのか悪かったのか...結果として母を1ヶ月見ていました。そして母と生活する中で...まあ鬱になってしまったので極度に自責の念が強いのは病気のせいとも言えますが、自分の人生を卑下しているのをよく聞きました。なんでこんな風になっちゃったんだろう私のせいだ...
また母ではありませんが以前似たような話を聞きました。ある方のお母さん(高齢者)に腫瘍が見つかって手術をされた時に「こんなに食事に気をつけてきたのにこんな病気になってしまって、まだ努力が足りないからだ」と言って食事を食べないという話を聞きました。
今まで自分がしてきた事を卑下し、自分が悪い...

高齢者がどんなに食事に気をつけたって、人間の命の終わりが近づいているのですから、いつまでも健康でいられるはずがない。なのに本人たちは高齢者だという事を受容仕切れないままそのギャップに心を病んでいく...これが老人性鬱の本体ではないでしょうかね...

この老いを認めて人生の最後をどう生きるかを自分自身で前向きに捉える事が出来れば人生の最後は明るく希望に満ちたものになるのでしょうね...

以下は武蔵浦和メンタルクリニックさんのHPの一部抜粋ですがすごく共感できたのでご紹介します
現在の日本では、より効率性・実用性が良しとされる風潮があると言えるでしょう。そのような社会の中で、この老年期を捉えるとなれば、「役に立つか」、「役に立たないか」といった基準で評価される可能性が高まります。それでは、この時期の拮抗のテーマである、「自我の統合」よりも「絶望」の方が上回る事は仕方ないことかもしれません。

母は一緒に散歩している時に、私もお役に立ちたいと言ったんです

なんか老年期って切ないですね...

私も含めて皆んな何か勘違いしているのかもしれません。私たちが高齢者にしてあげる事はプレゼントをあげたり、旅行に行ったり、そんな事じゃなくてあなたの存在そのものが必要なのですという事を伝える事、生きている役割を与える事なのかもしれませんね。

贈り物だって旅行だって根本にはあなたを大切に思っていますって事だけど、伝える伝わるって難しいですね

私もちょっぴり切なくなりました。でも母は生きている。人生の最後を産まれてきて良かったって思いながら人生を締めくくってもらいたいです。痩せて30キロを切って食べられなくなっちゃたけど、食欲は回復。入院でも点滴なしなくて済んでいるし、なんとか生きてます

神様が最後にくれた試練...いえ贈り物かもしれません。彼女の人生が最後に輝けるように