naomiブログをご覧の皆様、こんばんは☆歯科用顕微鏡@歯科衛生士naomiです

もう年末で皆様はお休みでしょうか。。。

実は私は25日に祖父が亡くなりまして、昨日お通夜で、本日告別式でした。
ほっと一息ついて、夕方自宅に戻ったところです。

今年もあと少しですが、今年は「命」について考えさせられた1年でもありました。

新しい命が誕生することもすごく奇跡的なことで、そして私は人類何千年の歴史の命を受けついできて生きているということ、そして、私の生きる能力は祖先から受けついでいることなどなど、いろんなことをきっかけに考えた1年でもありました。

亡くなった祖父は数え年で88歳。

先日主治医から、食事ができなくなって来たので、点滴か、胃瘻か、経鼻栄養の選択を迫られたそうで、実は母と会って話をする予定の日に、祖父は他界してしまいました。。。

食べることは生きること、生きることは食べること。

食べられなくなるということは、死が近づいていることを意味します。

私は母からその話を聞いた時、様々な思いがよぎりました。

それは、訪問で多くの患者さんを見てきたからで、生きさせられることと、生きることが違うということを現場で感じていたからです。

病院にとっては、食事は手間がかかるケアの1つです。人手も足りない中で、胃瘻や経鼻栄養は簡単なものです。餌を流せば言いわけですから。。。しかも処置には点数がつきます。処置をすれば病院の利益になります。

TPPで医療が自由化されて、民間企業が参入し、利益を追求した病院経営になるとはそういうことです。

母は、年齢も年齢だし、口から食べられなくなるのなら、それは仕方がないことで、胃瘻や経鼻栄養ではなく、食べられないようなら点滴で補って、なるべく自然に近い形でと主治医に言ったそうです。 

母は強いな〜

普通の家族は、たいてい死を看取るのが怖くて、とにかく少しでも長く生きながらえるようにしてほしいと望みます。だから病院は管だらけの人がいっぱいです。他人の私から見れば、生きているのか生かされているのかわからず、生きることとは何なのだろうか?と考えさせられる光景です。

想像してみてください。鼻に管をずーっと入れられているんですよ。意識がモウロウとしていたとしても、もし意識があったら痛いに決まっています。違和感があるに決まっています。

だから、管になるともっと意識がモウロウとします。虚ろな状態が増えます。管を付けるということはそういうことです。

私は思いますが、人は心と体で生きています。心が病めば病気になるように、病気になれば心が病むように、心と体は繋がっているのです。だから医療従事者の私達は心を体の両方をケアしなければなりません。

管になると、きっと生きる意欲がなくなっていくのだと思います。

ケアとは不思議なもので、人が手をかければかけるほど人は元気になります。(もちろん限界はあります。)だからケアの手を抜くための管では人は元気にならない。

母は祖父の死を受け止める覚悟が少なからずあったのだと思います。なかなか素人ではできない選択です。そういう選択をした母を私は尊敬します。

先日、すごくがっかりしたことがありました。

ある歯科衛生士さんが、訪問で食べられないお年寄りがいて、口から食べさせるにはどうしたらよいか?と質問したら、某衛生士さんが、ある食べ物で練習するといいと言っていました。。。

あまりにもお粗末な話のやりとりに、私は呆然でした。

食べられないから、とりあえず某食べ物を使って訓練。それはないよ歯科衛生士さんっ

診査、診断力が足りなさすぎます。

全身的既往、体幹の保持はできるのか、食事の時の姿勢、口唇閉鎖はできるのか、舌はどの程度動くのか、頬粘膜の状態、むせ、食事形態、手で食事がどのくら運べるのか、食事を認知できるのか。。。まだまだ書ききれないないほど観察するポイントがあります。

私の祖父も主治医から食事がとれなくなってきた、つまり摂食嚥下障害にあたるわけですが、祖父が某食べ物を使った訓練で食べられるようには、絶対になりません。

訪問は、歯科治療の集大成です。臨床ができない歯科医療従事者が、じーさん、ばーさんの話相手程度の認識でやり始めるからたちが悪い。人の体を扱う心構えがなってない!

お粗末さに涙が出ます。。。

ふうっ。クールダウン、クールダウン。

医療従事者は日々勉強だな〜と思います。 

年末最後まで愚痴になっちゃたな

あと2日。最終日はプラスで締めくくりたいと思います