naomiブログをご覧の皆様、こんばんは。歯科衛生士naomiです^^*

つれづれなるままに。

今日は思ったことを綴ります。

日本では“死”に関しての教育がありません。

人が死に行くことがどういうことなのか、家族の死に直面するまで何も知らない。

だから、ある時、家族に死が訪れた時、どうしてよいかわからなくなってしまう。

naomiは医療従事者だから。想像もつくし、ある程度のことが理解できる。

でも、普通の人はそうはいかないよね。。。

介護、医療現場で言われること。

在宅で看取ることの難しさ。

在宅で看取るということに、家族が精神的に耐えられない。

皆、住み慣れた家で死にたいと思っているのに、日本ではほとんどの人が病院で死を迎える。

在宅で死を迎えるということは、家族がその死と直面しないといけないから。

その覚悟ができるほどに日本人の心は成長しきれていない。

姥捨て山。日本に昔からあるこの言葉だが、これが日本人の死生観を物語っているように思う。

姥捨て山は死に関してのことだけど、でも“死”は“生”の裏返しである。死を追求すれば、おのずと生がいかなるものか理解できることであろう。

日本人は“死”を理解できない。つまり“生”が何であるかも本当は理解していないのかもしれない。

死の意味、生の意味を知っていたら、子供が親を刺し殺すなんてきっとならないのではないだろうか?

死を見つめること。それはいくつになっても大変なことだーね。。。

でも、naomiは信じているのです。人はどんな困難にも乗り越えられる力を持っているって。


どうやって文章を締めくくろうか考える。


適当なまとめが浮かばない。

人の死にこんなにも感情が交錯するのはきっと人間だけだろう。

“死”を悩む。それは人間の宿命なのかもしれない。